«Prev 1 2 3 4 5 Next»

伊坂幸太郎「フィッシュストーリー」

日記|2010年 04月 08日|固定リンクコメント(0) このエントリーを含むlivedoorクリップ このエントリーを含むはてなブックマーク del.icio.usへブックマーク Yahoo!ブックマークに登録



風呂の中で読んだが、これなかなか味わい深かった。

小説なんて最近はまったく読んでいなかったが、こういういい作品に会うと、また読みたくなるな。



風呂の中での読書は、なかなかいい感じ。


コリン性じんましん

日記|2010年 04月 08日|固定リンクコメント(0) このエントリーを含むlivedoorクリップ このエントリーを含むはてなブックマーク del.icio.usへブックマーク Yahoo!ブックマークに登録
になってしまった。


ひさしぶりに湯船につかってリラックスすると、全身に大量のじんましんが。
こりゃきもちわるい。

そして、かゆい。



まぁ、生まれた頃からアトピーを患って、思春期には金属アレルギーを患った、非常に皮膚トラブルの多い人生を歩んできた身からすれば、コリン性程度のじんましんのかゆみなんてたいしたことはないが。

だけど、見た目がひどいのでちょっとへこむね。ひどいときは熱を持って腫れあがるし。やれやれ、大変な皮膚である。


もうずっとこの皮膚で暮らしているから、しょうがないな、という感じではあるが。



原因は、ストレスと疲労と大量のカフェイン摂取かな。

しばらくは辛いものとコーヒーを控えるか。まったくめんどうくさい。



まぁ、対策もわかっているのでまったく心配していない。

汗には汗で対抗ということで、まめに湯船に入ることにした。また、刺激物とコーヒーはとりあえず減らしてみよう。



そして、圧倒的な運動不足への対策として、加圧トレーニングを始めることにした。

しばらくはトレーニング後のじんましんに悩まされること思うが、まあ仕方ない。



少しずつ、よくなればよいのだ。



何を成すべきか、何に身を捧げるべきか

日記|2010年 04月 04日|固定リンクコメント(0) このエントリーを含むlivedoorクリップ このエントリーを含むはてなブックマーク del.icio.usへブックマーク Yahoo!ブックマークに登録
今年、34歳である。


組織に所属していないので、基本的に他の人がどうしているかあまり知らない。
学生時代からほとんど友人もおらず、学生時代は基本的に本を読んですごした。本当に一部の例外を除いて、話の合う同級生がそれほどいなかった。

働けるようになってからとにかく身を粉にして働いてきた。

なにかに打ち込んでいるときは、夢中になって楽しかった。打ち込むものは何でもよかった。料理だったり、接客だったり、清掃だったり。地下に潜って延々と光ファイバーを敷くバイトもした。きつい仕事でも、給料が少ない仕事でも、夢中になっていられればそれでよかった。


夢中で打ち込むから、ある程度までは行く。ただ、高い志があるわけでもないし、その先にある未来が見えているわけでもないから、ある程度まで行くと、そこから先へ行けない。それが俺の中途半端なところで、一流になれない理由であると思う。いつもそうだった。もちろん、今も。



最近、映画をよく見る。

「インビクタス」「ハート・ロッカー」「マイレージ、マイライフ」。どれもすばらしい映画だった。

これらに描かれている普遍のテーマは、「何を成すか」「何に身を捧げるか」ということ。この問いがずっと、自分の中に渦巻いている。


そんなことをぐるぐると考えている中、町山智浩さんと宇多さんの「ハート・ロッカー」評に関する議論のポッドキャストがすごく刺さった。
宇多さんの評論本編
町山さんと宇多さん議論pt1
町山さんと宇多さん議論pt2
町山さんと宇多さん議論pt2



俺には、どんなことができるだろうか?
俺の一番好きなことって何だろう?
俺が一生をかけて成し遂げたいことって何だろう?



人生はなんでもできるほど長くないし、いつまでも「可能性がどこにでもある」なんて青臭いこと言ってられなくなる年になってきた。まぁ、それでもいつまでも無邪気にそのときに好きなことを楽しんでいたいと思うけれど、そろそろ自分が本当に成し遂げるべきことを考え、選び、その方向へもう一度歩を進めなければならないな、と強く思う。


そんなわけで、忙しさにかまけて途絶えがちだったブログも、もう一度ちゃんと書いてみようと思います。

忙しく毎日を消化しているだけで、自分がしてきたことを忘れてしまったらもったいないから。



しばらく映画をたくさん見て、本をたくさん読んで、いろんなところに出かけて、真に自分が成すべきことについて決めることをしてみよう。今日からの日記は、その道程を書きおくものであり、多分に読まれるのは恥ずかしいけれど、まぁ、その恥ずかしい奴が自分である、ということで。



言語化できない「文化」の魅力

日記|2010年 03月 22日|固定リンクコメント(0) このエントリーを含むlivedoorクリップ このエントリーを含むはてなブックマーク del.icio.usへブックマーク Yahoo!ブックマークに登録
昨日、彼女がきものショーに出るということで観覧に行ってきた。


きものショーは、いわゆる東京ドームとかで開かれる着物の品評会ではなく、きものの着付け教室の生徒さんたちの発表会で、出演者はなんと総勢258名の女性。もちろん全員着物。年齢は若い人から奥様までさまざま。


で、これがどうだったかというと、かなり新鮮で、行ってよかった。


帯の模様や結び方、生地、染め、着物の種類などなど、知らなかった着物の世界がテンポよく紹介されて、着物についてなんにも知らない自分も、なかなか楽しめた。このテンポがいいってのがけっこうポイントで、このおかげで飽きずにいろんな着物の模様やデザインを楽しむことができる。

そして、着物は基本的に生徒さんたちのもちものがベースになっているので、それはそれは豪華絢爛なものからシックで落ち着いたものまで、いろんなデザインを見せてくれる。演目として振袖や袴、結婚式で使う白むくやお色直し用の衣装も紹介してくれた。

まぁ、一番美しかったのは彼女だと思いますが。なんて。



さて、それはそうと、このショーの中で、繰り返し言われるキーワードが「祖母の形見の」「母から譲り受けた」といったもの。俺自身、いままで日本的な「家」の概念なんか完全否定派で、ただのわずらわしい因習にしか過ぎないと思っていて、その考え方はいまも変わっていない。だけど、女の人の美に対する慎ましやかな喜びみたいなものが、世代を超えて受け継がれているのを間近に見て、なんかとても尊いな、と思った。


帯にほんのちょっと柄が入っただけでかわいい、生地の発色が光に映えてかわいい、そんな価値観が、世代を超えて楽しまれている。これってすごいな、と。戦争もあっただろうし、経済の状況は常によかったわけではないけれど、日常を楽しむってことが常に文化の内側にあって、そんな小さなことで人間は幸せを感じることができる。そんなことが透けて見えてきて、改めて人間の作り出す「文化」の尊さに頭を下げたくなるひと時だった。



写真をたくさん撮ってきたので家で確認してみたんだけど、やっぱり現場の優美な空気感までは写っておらず、ただの記録写真としか見えなくて残念。


こういう、データ化しづらい、言語化もしにくいけれど、価値が高いものって世の中にはたくさんあって、それが人間の幸福に多分に関わっているんだろうな、と思う。そういうのをうまく捕まえて、仕事にも生かすことができればいいな、と思うんだけど、なかなか難しいなぁ。





«Prev 1 2 3 4 5 Next»